表紙のイラストが咲-Saki-だったので買いました。
なんと描き下ろし。

V林田『麻雀漫画50年史』(文学通信,2024年)
なんと描き下ろし。

V林田『麻雀漫画50年史』(文学通信,2024年)
麻雀漫画がジャンルとして確立された70年代から現在までの歴史を記している本です。
歴史を記すにあたって様々な切り口や視点があると思いますが、本書の趣旨は「はじめに」の部分に書かれています。
「 本書で記すのは、麻雀漫画という漫画界の辺境ジャンルにも様々な人物がいて、情熱や惰性によって様々な雑誌や作品が生み出されてきたということ、ただそれだけだ。」
ここでいう「様々な人物」とは漫画家のことだけではありません。
企画を立ち上げる編集者や闘牌シーンを監修する麻雀プロも含まれています。
筆者独自の取材を通して来歴や人物像を浮き彫りにし、この雑誌・作品が生み出されるまでに至るにはどのような情熱、あるいは惰性があったのかを記録しています。
麻雀好きが高じて自ら業界に入った人もいれば、お金のために仕方なく描いている人もいたとのこと。
昔の麻雀漫画は今よりも日陰者の扱いだったので携わるには何かしらの理由が必要だったっぽいです。
この価値観は『アカギ』や『咲-Saki-』から麻雀漫画の存在を知った私にはなかったなぁ。
後世に全く影響を残していなさそうな短命雑誌も網羅的に取り上げることで、当時の等身大な空気というか立ち位置が感じられますし、ヒット作の偉大さが際立ちます。
文化史としてとても面白い。
黎明期に携わった人物は現在では亡くなられた方も多く、雑誌・作品は国会図書館に納本すらされてないことが珍しくないそうです。70年代なのでインターネットに情報が残されているわけでもなし。
そう考えると本書が貴重な資料の宝庫であることがわかると思います。
しかし、本書の後半くらいからは根拠を欠いた記載が目立つようになります。
たとえば、460頁では『咲-Saki-』について「作品自体の部数等では同クラスであろう作品より明らかに二次創作界隈での人気が高く、そして持続したのだ。」とありますが、『咲-Saki-』の部数が書かれていませんし、同クラスの作品の具体例もありません。そして、二次創作界隈での人気をどうやって定量化したのでしょうか?
あと、「百合を中心とした」としていますが、これも客観的な調査をしたのかそれとも筆者の印象なのかが書かれていません。(私の印象だと同人誌即売会だと百合中心で、小説投稿サイトだと須賀京太郎ハーレムがそこそこあって、イラスト投稿サイトだと原村和がモブの男性と絡んでるR18イラストが多いかな~。でも私が咲-Saki-を知ったのはアニメ阿知賀編なので、それ以前の界隈の空気は知らない)
二次創作の人気といえば434頁で「『アカギ』をはじめとした福本作品は、女性向け同人ジャンル(いわゆる「BL」を多分に含む)としての人気がかなり高い。」「それこそ赤木と鷲巣の関係性も人気が高い」という記述があります。
これに関しては根拠としてファンサイトの数と同人イベントが盛況だったことを挙げています。しかし、これらは男性でも参加できるものなので女性向け同人ジャンルの人気が高いことの根拠としては弱いです。ましてや赤木と鷲巣の関係性の人気を示すものではありません。
同人イベントが盛況だったことがわかっているなら、その参加者の男女比や頒布物の傾向もわかっているはずでしょう。何故それを書かないのか不思議でした。(そもそも「盛況」自体が主観的なので二重に根拠が必要)
そして434-435頁で『鷲巣様とゆかいな仲間たち』のことを「本作の登場は、このような当時の状況を反映していたのである。」と解説していますが、これは竹書房かCLAMPに取材して確かめたことなのか筆者の推測なのか文章から読み取れません。
さて、本書には「麻雀漫画ファン」という私からすると実態がわからない謎の集団がさも当然のように登場します。筆者はどうやってその実態を調査したのか不思議です。
顕著なのは『哲也』の項目で、338頁には「このような大ヒット作になった本作だが、コアな麻雀漫画ファンからの評価はあまり高くない。」とあります。
「麻雀漫画ファン」の時点で既にコアなのに「コアな麻雀漫画ファン」なんてどういう定義なのかわかりません。コアな麻雀漫画ファンとコアじゃない麻雀漫画ファンの違いは何?
338‐339頁の「阿佐田へのリスペクトを欠いているのではないかと感じた読者もいた」で登場する「読者」とはどこの誰なのでしょうか?
485頁の「主人公・宮永咲を演じる浜辺美波(本作がテレビドラマ初主演作である)にあまりにもオーラがあって「これは期待できるんじゃないか」と思わされてしまったのだ。」という記述……たしかに私の記憶ではそれなりに好意的な反応が多かった気がしますが、ちょっと過去を美化しすぎな気もします。
「オーラ」という曖昧な概念を出されると否定しにくいですが、少なくとも現在のような国民的知名度はなかったと思います。日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞する前ですから。発表ツイートの引用で誰とか言ってる人が3人いますし。
そして、X(Twitter)で「"これは期待できるんじゃないか" until:2016-12-06 since:2016-10-26」と検索したところ、とんかつ屋に期待する人・チームキットに期待する人・孫尚香に期待する人しかヒットしませんでした。まぁ、「思わされてしまった」と「投稿させられてしまった」は違うから間違っているわけではありませんけど。Twitterが沈静化したことを言いたいならTwitterから言葉を拾うべきだと思います。
(というか宮永咲のキャストが発表されてから他のメインキャストが発表されるまで6時間しかなかったから沈静化の理由が浜辺美波氏のオーラだけなのかは微妙)
486頁から487頁まで『咲-Saki-』の実写化が成功した理由が語られていますが、どれも結果論の域を出ていません。成功の理由がわかったら誰も苦労しないでしょ。(そもそも成功だと胸を張って言えるような興行収入はあったのか?という疑問はあるけど阿知賀編が制作されているのでそこは置いておく)
筆者が主張する成功の理由をまとめると「原作ファンが納得したから」なんですけど、コア層の評価と商業的な成功は関係ないことは『哲也』の例で筆者自ら証明しているので理由としては弱いです。主張するならまず成功の定義を決めるべきです。たとえば監督は100%『咲-Saki-』ファンのために作ったつもりと発言しているので成功の定義は原作ファンからの好評であるとかなんとか。
というか「原作ファンが納得した」の対偶は「納得していなければ原作ファンではない」ですからね?やはり言い過ぎ感は否めません。筆者が個人的に納得したということならば何も異論はありませんが、主語を「原作ファン」とするならば何かしらの根拠を明記するべきでしょう。
また、487頁で「龍門渕高校・天江衣については、前年の映画『貞子VS伽椰子』で一部映画ファンに印象を強く残した子役・菊池麻衣(05年生まれなので、本作時でも小学生である)を起用してクリアした。」にはツッコミどころが3つあります。
まず、「一部映画ファン」って誰?映画ファンではないけど友達に誘われて観た人とかは印象に残らなかったの?というのが1つ目。
次に、「前年の映画」とありますが、キャストが発表されたのは2016年だから「起用」されたのはそれ以前、『貞子VS伽椰子』の公開も2016年だから「前年」ではなくない?というのが2つ目。(天江衣が本格的に登場する劇場版の公開は2017年だからそういう意味では間違ってないが……)
そして、起用された理由はインタビューによると「菊池麻衣ちゃんは見た目が衣に近かった」だったはずだから『貞子VS伽椰子』は関係なくない?というのが3つ目。(もちろん本書にはキャスティングには『貞子VS伽椰子』が影響した書いてはいないので間違ってはいないが)
また、麻雀漫画の歴史解説なのか筆者のオススメ麻雀漫画紹介なのか判別できない文章も目立ちます。
456頁から述べられている『咲-Saki-』の4つの特徴はチェリーピッキングに感じました。
第1と第2はどちらも、似た作品なかったわけではないがこの点が違うので画期的という主張をしていますが、271頁で「本作の担当編集だった秋義紀も、『咲-Saki-』が出た際に「『さだめだ』じゃん」と思ったという」とあるように、その点が本当に重要な違いなのかそれとも些細な違いなのかよく分かりませんでした。(人によるでいいじゃん)
第3の特徴では和了役の統計を根拠にしていますが、旧来の麻雀漫画は「見栄えがする手役が出がち」としているのに対して、『咲-Saki-』は「嶺上開花などの特殊役を除くと役の出現頻度は実は現実に近い部類に入るのだ。」と見栄えがする手役(嶺上開花)を意図的に統計から除外しています。さらに、その直後に「遊び心もあった」と書いていますが、じゃあ現実と違うってことじゃんと私は感じました。「闘牌がしっかりしている」というのは「世間で思われているより闘牌がしっかりしている」なのか「旧来の全麻雀漫画より闘牌がしっかりしている」なのかわかりません。そもそも「しっかり」と「現実的」は違う気がします。
第4の特徴は『ノーマーク爆牌党』や『天牌』との違いが書かれていないので何が特徴なのかよくわかりませんでした。
そもそも『咲-Saki-』に4つの特徴があると言われてもだから何?って話なんですよね。作品の概要の説明にはなっていますけど、456頁の「麻雀漫画に新たなセンセーションを巻き起こす」「麻雀漫画界にたちまち大旋風を巻き起こした」「麻雀漫画史的には、00年代で最も重要な作品」の説明にはなっていません。(なぜならどんなにつまらない作品でも大なり小なり4つくらい特徴はあり、どんなに面白い作品でも人気が出るとは限らないから)
『咲-Saki-』がどういうセンセーションを起こしたのかを説明するなら、まず前提としてアニメ化されたことに触れてから、過去にアニメ化された麻雀漫画とは異なる特徴を挙げるべきだったんじゃないかなぁ。そうすれば反例が出にくいはず。
作品の概要なのか、センセーションを起こせるほどに人気が出た理由なのか、どういうセンセーションを起こしたのかの説明なのか、作品のプレゼンなのか、闘牌を侮っている人への反論なのか、いまいち言いたいことがわかりませんでした。
430頁では『朱雀』を「『咲-Saki-』(小林立。456頁)の影響で生まれたものであろうと思われる。」とし、497頁では『Newスーパーリアル麻雀』を「まあ多分『咲-Saki-』の影響であろう」、511頁では『てんぱいっ!』を「『咲-Saki-』の柳の下のどじょう的企画といえばそうなのだが、」としています。
これらもどれくらい真に受けていい話なのかわかりません。
冗談なのかもしれないけど、冗談にしては少し失礼な話なので、じゃあ何かしらの根拠があるのかな?でもその根拠を書かないのは何故?と思ってしまいます。
…………とまあ長々と書きましたが、別に本書の後半の内容が不正確というわけではないと思います。
541頁で筆者の自己紹介として「00年代以降の近麻系列3誌はリアルタイムで読んでいて、面白いと思った作品については単行本を買っていた」と語っているので、00年代以降の近麻系列3誌(および麻雀漫画界隈)への知識や愛は信頼に値するでしょう。中途半端にインタビューやアンケートを取るよりも筆者の肌感覚の方が正確かもしれません。
しかし、知識が豊富であるが故に確認不足で、愛が深いが故に事実の誇張が見られます。
もちろん完璧に正しい歴史を書くのはもとより不可能ですし、当事者の主観的な証言を通してでしか見えない歴史もあるので、これはこれで有意義だと思いますが……
とにかく、本書の前半と後半で歴史研究に対する姿勢が違い過ぎて酔いました。
別にソースは俺でも構いませんが、せめて「ソースは俺」と明記してほしかったです。
同人誌ならともかく、これは商業誌なので誰か中立的な視点でツッコミを入れてくれる人はいなかったの?と思ってしまいます。
そしてこれは本書の前半から見られることですが、引用されている画像の癖が良くも悪くも強いです。
506頁で「筆者を含む好事家」とあるように、筆者はなんとも言えない味わいを好む傾向があります。もちろん名作と呼ばれるような完成度が高い作品もそれはそれで好きなようなのでややこしい。
漫画を1ページだけ引用されても前後の文脈がわからないので、作品全体の癖が強いのか、そのページだけ癖が強いのか、そもそも褒めているのかネタにしているのか判断に困るんですよね。
最近の私は、咲-Saki-最新話でツッコミ所のあるコマ(はいていないとか胸が大きいとか)だけを切り抜いてSNSでウケを狙おうとするアカウントへの警戒心が強いので、本書のノリにいまいちついていけませんでした。
とはいえ、何百もの作品(索引に載っているのは474?根こそぎフランケンがなくね?)を解説する熱量には圧倒されますし、私が抱いていた「どうせ麻雀漫画ってだいたい〇〇でしょ」みたいな偏見も取り払われた一冊なので、咲-Saki-が好きな人だったら買って読む価値はあると思います。
歴史を記すにあたって様々な切り口や視点があると思いますが、本書の趣旨は「はじめに」の部分に書かれています。
「 本書で記すのは、麻雀漫画という漫画界の辺境ジャンルにも様々な人物がいて、情熱や惰性によって様々な雑誌や作品が生み出されてきたということ、ただそれだけだ。」
ここでいう「様々な人物」とは漫画家のことだけではありません。
企画を立ち上げる編集者や闘牌シーンを監修する麻雀プロも含まれています。
筆者独自の取材を通して来歴や人物像を浮き彫りにし、この雑誌・作品が生み出されるまでに至るにはどのような情熱、あるいは惰性があったのかを記録しています。
麻雀好きが高じて自ら業界に入った人もいれば、お金のために仕方なく描いている人もいたとのこと。
昔の麻雀漫画は今よりも日陰者の扱いだったので携わるには何かしらの理由が必要だったっぽいです。
この価値観は『アカギ』や『咲-Saki-』から麻雀漫画の存在を知った私にはなかったなぁ。
後世に全く影響を残していなさそうな短命雑誌も網羅的に取り上げることで、当時の等身大な空気というか立ち位置が感じられますし、ヒット作の偉大さが際立ちます。
文化史としてとても面白い。
黎明期に携わった人物は現在では亡くなられた方も多く、雑誌・作品は国会図書館に納本すらされてないことが珍しくないそうです。70年代なのでインターネットに情報が残されているわけでもなし。
そう考えると本書が貴重な資料の宝庫であることがわかると思います。
しかし、本書の後半くらいからは根拠を欠いた記載が目立つようになります。
たとえば、460頁では『咲-Saki-』について「作品自体の部数等では同クラスであろう作品より明らかに二次創作界隈での人気が高く、そして持続したのだ。」とありますが、『咲-Saki-』の部数が書かれていませんし、同クラスの作品の具体例もありません。そして、二次創作界隈での人気をどうやって定量化したのでしょうか?
あと、「百合を中心とした」としていますが、これも客観的な調査をしたのかそれとも筆者の印象なのかが書かれていません。(私の印象だと同人誌即売会だと百合中心で、小説投稿サイトだと須賀京太郎ハーレムがそこそこあって、イラスト投稿サイトだと原村和がモブの男性と絡んでるR18イラストが多いかな~。でも私が咲-Saki-を知ったのはアニメ阿知賀編なので、それ以前の界隈の空気は知らない)
二次創作の人気といえば434頁で「『アカギ』をはじめとした福本作品は、女性向け同人ジャンル(いわゆる「BL」を多分に含む)としての人気がかなり高い。」「それこそ赤木と鷲巣の関係性も人気が高い」という記述があります。
これに関しては根拠としてファンサイトの数と同人イベントが盛況だったことを挙げています。しかし、これらは男性でも参加できるものなので女性向け同人ジャンルの人気が高いことの根拠としては弱いです。ましてや赤木と鷲巣の関係性の人気を示すものではありません。
同人イベントが盛況だったことがわかっているなら、その参加者の男女比や頒布物の傾向もわかっているはずでしょう。何故それを書かないのか不思議でした。(そもそも「盛況」自体が主観的なので二重に根拠が必要)
そして434-435頁で『鷲巣様とゆかいな仲間たち』のことを「本作の登場は、このような当時の状況を反映していたのである。」と解説していますが、これは竹書房かCLAMPに取材して確かめたことなのか筆者の推測なのか文章から読み取れません。
さて、本書には「麻雀漫画ファン」という私からすると実態がわからない謎の集団がさも当然のように登場します。筆者はどうやってその実態を調査したのか不思議です。
顕著なのは『哲也』の項目で、338頁には「このような大ヒット作になった本作だが、コアな麻雀漫画ファンからの評価はあまり高くない。」とあります。
「麻雀漫画ファン」の時点で既にコアなのに「コアな麻雀漫画ファン」なんてどういう定義なのかわかりません。コアな麻雀漫画ファンとコアじゃない麻雀漫画ファンの違いは何?
338‐339頁の「阿佐田へのリスペクトを欠いているのではないかと感じた読者もいた」で登場する「読者」とはどこの誰なのでしょうか?
不可解なのが筆者はこれほど麻雀漫画ファンの評価に精通しているのに『ゲッターロボ牌』については478頁で「一般的な『近代麻雀』読者がどう思っていたのかはよく分からないが……。」と言葉を濁していること。
同じ「分からない」にも①反響が少なかった②賛否両論だった③読者そのものの数が少ない④調査したけど力不足で分からなかった⑤調査をしていないから分からない⑥ハッキリ言うのがためらわれるほど酷評だった……と解釈が様々あります。
484頁から『咲-Saki-』の実写化について語られますが、そこで「原作ファン」というやはり私からすると実態がわからない謎の集団がさも当然のように登場します。この集団の中に私は入っているのでしょうか?485頁の「主人公・宮永咲を演じる浜辺美波(本作がテレビドラマ初主演作である)にあまりにもオーラがあって「これは期待できるんじゃないか」と思わされてしまったのだ。」という記述……たしかに私の記憶ではそれなりに好意的な反応が多かった気がしますが、ちょっと過去を美化しすぎな気もします。
「オーラ」という曖昧な概念を出されると否定しにくいですが、少なくとも現在のような国民的知名度はなかったと思います。日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞する前ですから。発表ツイートの引用で誰とか言ってる人が3人いますし。
そして、X(Twitter)で「"これは期待できるんじゃないか" until:2016-12-06 since:2016-10-26」と検索したところ、とんかつ屋に期待する人・チームキットに期待する人・孫尚香に期待する人しかヒットしませんでした。まぁ、「思わされてしまった」と「投稿させられてしまった」は違うから間違っているわけではありませんけど。Twitterが沈静化したことを言いたいならTwitterから言葉を拾うべきだと思います。
(というか宮永咲のキャストが発表されてから他のメインキャストが発表されるまで6時間しかなかったから沈静化の理由が浜辺美波氏のオーラだけなのかは微妙)
486頁から487頁まで『咲-Saki-』の実写化が成功した理由が語られていますが、どれも結果論の域を出ていません。成功の理由がわかったら誰も苦労しないでしょ。(そもそも成功だと胸を張って言えるような興行収入はあったのか?という疑問はあるけど阿知賀編が制作されているのでそこは置いておく)
筆者が主張する成功の理由をまとめると「原作ファンが納得したから」なんですけど、コア層の評価と商業的な成功は関係ないことは『哲也』の例で筆者自ら証明しているので理由としては弱いです。主張するならまず成功の定義を決めるべきです。たとえば監督は100%『咲-Saki-』ファンのために作ったつもりと発言しているので成功の定義は原作ファンからの好評であるとかなんとか。
というか「原作ファンが納得した」の対偶は「納得していなければ原作ファンではない」ですからね?やはり言い過ぎ感は否めません。筆者が個人的に納得したということならば何も異論はありませんが、主語を「原作ファン」とするならば何かしらの根拠を明記するべきでしょう。
また、487頁で「龍門渕高校・天江衣については、前年の映画『貞子VS伽椰子』で一部映画ファンに印象を強く残した子役・菊池麻衣(05年生まれなので、本作時でも小学生である)を起用してクリアした。」にはツッコミどころが3つあります。
まず、「一部映画ファン」って誰?映画ファンではないけど友達に誘われて観た人とかは印象に残らなかったの?というのが1つ目。
次に、「前年の映画」とありますが、キャストが発表されたのは2016年だから「起用」されたのはそれ以前、『貞子VS伽椰子』の公開も2016年だから「前年」ではなくない?というのが2つ目。(天江衣が本格的に登場する劇場版の公開は2017年だからそういう意味では間違ってないが……)
そして、起用された理由はインタビューによると「菊池麻衣ちゃんは見た目が衣に近かった」だったはずだから『貞子VS伽椰子』は関係なくない?というのが3つ目。(もちろん本書にはキャスティングには『貞子VS伽椰子』が影響した書いてはいないので間違ってはいないが)
また、麻雀漫画の歴史解説なのか筆者のオススメ麻雀漫画紹介なのか判別できない文章も目立ちます。
たとえば、404頁で『バード』のことを「イカサマ麻雀漫画の最高傑作」と評していますが、何をもってして「最高」なのかがいまいちわかりません。
発行部数が書かれていないので商業的に『アカギ』を超えたのかわかりませんし、麻雀漫画ファン100人とかにアンケートを取ったわけでもなさそう。じゃあ筆者個人のお気に入りなのかなと思いましたが、福地誠氏と近藤信輔氏の言葉を引用しているのでそういうわけでもなさそう。しかも、どちらの言葉も限られた枠組みの中の限られた時代の中の数ある中のひとつという評価なので最高の根拠とは言い難いです。
411頁で『麻雀放浪記 凌ぎの哲』のことを「『天牌』『バード』と並んで00年代前半の麻雀漫画を代表する作品といえよう」と書かれていますが、その根拠が文章から読み取れません。商業的な成功?世間一般の人気?筆者の主観?
連載期間は『天牌』が圧倒的すぎて並べられないですし、545頁にある筆者の好きな麻雀漫画20作品では逆に『天牌』だけ挙げられていません。
そもそも『天牌』の連載開始は1999年なので00年代前半ではないですし、その誤差を許容するのであれば『むこうぶち』が並べないのは何故?
456頁から述べられている『咲-Saki-』の4つの特徴はチェリーピッキングに感じました。
第1と第2はどちらも、似た作品なかったわけではないがこの点が違うので画期的という主張をしていますが、271頁で「本作の担当編集だった秋義紀も、『咲-Saki-』が出た際に「『さだめだ』じゃん」と思ったという」とあるように、その点が本当に重要な違いなのかそれとも些細な違いなのかよく分かりませんでした。(人によるでいいじゃん)
第3の特徴では和了役の統計を根拠にしていますが、旧来の麻雀漫画は「見栄えがする手役が出がち」としているのに対して、『咲-Saki-』は「嶺上開花などの特殊役を除くと役の出現頻度は実は現実に近い部類に入るのだ。」と見栄えがする手役(嶺上開花)を意図的に統計から除外しています。さらに、その直後に「遊び心もあった」と書いていますが、じゃあ現実と違うってことじゃんと私は感じました。「闘牌がしっかりしている」というのは「世間で思われているより闘牌がしっかりしている」なのか「旧来の全麻雀漫画より闘牌がしっかりしている」なのかわかりません。そもそも「しっかり」と「現実的」は違う気がします。
第4の特徴は『ノーマーク爆牌党』や『天牌』との違いが書かれていないので何が特徴なのかよくわかりませんでした。
そもそも『咲-Saki-』に4つの特徴があると言われてもだから何?って話なんですよね。作品の概要の説明にはなっていますけど、456頁の「麻雀漫画に新たなセンセーションを巻き起こす」「麻雀漫画界にたちまち大旋風を巻き起こした」「麻雀漫画史的には、00年代で最も重要な作品」の説明にはなっていません。(なぜならどんなにつまらない作品でも大なり小なり4つくらい特徴はあり、どんなに面白い作品でも人気が出るとは限らないから)
『咲-Saki-』がどういうセンセーションを起こしたのかを説明するなら、まず前提としてアニメ化されたことに触れてから、過去にアニメ化された麻雀漫画とは異なる特徴を挙げるべきだったんじゃないかなぁ。そうすれば反例が出にくいはず。
作品の概要なのか、センセーションを起こせるほどに人気が出た理由なのか、どういうセンセーションを起こしたのかの説明なのか、作品のプレゼンなのか、闘牌を侮っている人への反論なのか、いまいち言いたいことがわかりませんでした。
430頁では『朱雀』を「『咲-Saki-』(小林立。456頁)の影響で生まれたものであろうと思われる。」とし、497頁では『Newスーパーリアル麻雀』を「まあ多分『咲-Saki-』の影響であろう」、511頁では『てんぱいっ!』を「『咲-Saki-』の柳の下のどじょう的企画といえばそうなのだが、」としています。
これらもどれくらい真に受けていい話なのかわかりません。
冗談なのかもしれないけど、冗談にしては少し失礼な話なので、じゃあ何かしらの根拠があるのかな?でもその根拠を書かないのは何故?と思ってしまいます。
…………とまあ長々と書きましたが、別に本書の後半の内容が不正確というわけではないと思います。
541頁で筆者の自己紹介として「00年代以降の近麻系列3誌はリアルタイムで読んでいて、面白いと思った作品については単行本を買っていた」と語っているので、00年代以降の近麻系列3誌(および麻雀漫画界隈)への知識や愛は信頼に値するでしょう。中途半端にインタビューやアンケートを取るよりも筆者の肌感覚の方が正確かもしれません。
しかし、知識が豊富であるが故に確認不足で、愛が深いが故に事実の誇張が見られます。
もちろん完璧に正しい歴史を書くのはもとより不可能ですし、当事者の主観的な証言を通してでしか見えない歴史もあるので、これはこれで有意義だと思いますが……
とにかく、本書の前半と後半で歴史研究に対する姿勢が違い過ぎて酔いました。
別にソースは俺でも構いませんが、せめて「ソースは俺」と明記してほしかったです。
同人誌ならともかく、これは商業誌なので誰か中立的な視点でツッコミを入れてくれる人はいなかったの?と思ってしまいます。
そしてこれは本書の前半から見られることですが、引用されている画像の癖が良くも悪くも強いです。
506頁で「筆者を含む好事家」とあるように、筆者はなんとも言えない味わいを好む傾向があります。もちろん名作と呼ばれるような完成度が高い作品もそれはそれで好きなようなのでややこしい。
漫画を1ページだけ引用されても前後の文脈がわからないので、作品全体の癖が強いのか、そのページだけ癖が強いのか、そもそも褒めているのかネタにしているのか判断に困るんですよね。
最近の私は、咲-Saki-最新話でツッコミ所のあるコマ(はいていないとか胸が大きいとか)だけを切り抜いてSNSでウケを狙おうとするアカウントへの警戒心が強いので、本書のノリにいまいちついていけませんでした。
とはいえ、何百もの作品(索引に載っているのは474?根こそぎフランケンがなくね?)を解説する熱量には圧倒されますし、私が抱いていた「どうせ麻雀漫画ってだいたい〇〇でしょ」みたいな偏見も取り払われた一冊なので、咲-Saki-が好きな人だったら買って読む価値はあると思います。










